よく「成功したい」とか「成功者になりたい」という言葉を耳にしますが、成功とは何でしょう?
お金を得ること、地位を得ること、権力を得ること…
俗に言う、富と名声というやつでしょうか?
では、仮にそれ(成功)を手に入れたとして、成功=幸福となり得るでしょうか?

成功への欲求と資本主義

成功したいという言葉は、「人よりも優れていたい」とか「人に羨ましがられたい」などの、優位性を求める欲求をベースとしているように思います。
資本主義・競争社会として発展してきた先進国の日本であるが故に、こういった欲求が根強いのでしょう。
資本主義は読んで字のごとく「お金が全て」という考え方。
資本家や経営者が資本という権力を持って、労働者から労働力を買うシステムと言えます。
この文化の中で生まれ育つからこそ、お金や権力=成功という図式が成り立っている訳です。

確かに、自由な競争を推し進め、その成果や報酬をも自由化することで、他人・他社よりも優れた商品やサービスを開発しようとすることは、文明を発展させる上で非常に画期的なシステムです。
人間の成功への欲求をうまく刺激することで成り立っているのです。

成功への欲求を煽るメディア

しかし、現代ではそれがあまりにも安易で短絡的になりすぎているのでは?と感じます。
単にお金持ちになって人よりも良い服を着て、良いものを食べて、良い所に住みたい。
社会的に地位の高い仕事や役職に就いて、社会的身分を自慢したり利用したい。
特に現代の若者の間では、こういった安直な考えが蔓延しているように思います。
その原因は、成功を煽るメディアの影響が大きいでしょう。

世の中の俗に言う「成功者」達は、富の次に名声を欲しがります。
名声とは要するに、他人に認められたい、尊敬されたい、という「承認欲求」です。
それを満たすために利用するのが、メディアです。
メディアもまたこれを利用し、視聴率や再生回数を稼ぎ、広告で稼ぎを上げます。
いわばwin-winの関係です。

子供の頃からスマホを手にして、様々な情報を受けとることが出来る現代社会。
そんなスマホを通して、お金持ちの豪遊やひけらかした権力を目の当たりにした子供たちは「成功したらあんなに幸せになれるんだ」と歪んだ夢を抱きます。
子供に限らず、こういった野望を抱いている人は数多くいると思います。

成功=幸福か?

では、仮に成功(富・名声)を手にしたとして、それは幸せと言えるでしょうか?
別記事(承認欲求)にも書いた通り、幸せかどうかというのは自分次第です。
その基準を他人任せにすることは、本当の幸せとは言えません。
前述したように、「成功したい」というのは「優位性を持ちたい」「自尊心を満たしたい」ということに近く、それは人を見下す事へと繋がっていきます。
人を見下して優位性を築いている人に、尊敬を抱く人はほとんどいません。
一見それは尊敬に見えても、尊敬の皮を被った忖度と言えるでしょう。
それを勘違いしないことです。

勝ち組になりたい、成功したいなど、そういった思いばかりに捉われてしまうと、いざそれが手に入らなかった時、生きる意味すらも失う可能性もあります。

本当の幸せとは、他人に認められる事で成立するものではありません。
仮に、富や名声を手にしたとしても、それを忘れてしまっては、結果として幸せにはなれないでしょう。